亡き父は昭和二(1927)年九月二十五日生まれで
その年は事実上昭和の始まりの年(元年は大正天皇
崩御の12月25日から31日までの七日間)なので…
父の名前「昭」は人気のある一字だったようだ。
あきら父の遺した「敢闘録」二冊には昭和十八年の
10月1日(日)に海軍飛行兵長を命ぜられてからの
美保海軍航空隊14期甲種予科練兵としての日記と
して二冊目ノートの昭和十九年の10月1日(日)
までの記録が黒インクと青インクで記されている。
つまり十六歳になってから当時の軍国少年たちの
憧れであったらしい七つボタンの制服に身を纏い
…訓練自体は十八年の7月から始まっていたようだが
…配属されてから戦局の悪化著しく恐らくはもはや
ノートも支給されなくなる翌年の同日までの備忘録。
今日は父の月命日(2015年12月26日逝去八十八歳)
にあたり朝から高槻図書館に来て開くまではロビー
開館してからは自由で空いている自習机で読み耽る。
いずれ『NP誌』に「超訳」を(弟妹の許諾を得て)
掲載したいと考えているので今日は前説だけにする。
春風の頃はまだよかったが…大日本帝国はやがて…。
【秋風に同期の志願特攻の
兵長として父は十七】
高槻ではこのあと桐蔭組合OBふたり会があり
歴史と戦争と政治経済に詳しいショーゴ先生
と語らう予定…昨今のきな臭い国勢のこと等。



その年は事実上昭和の始まりの年(元年は大正天皇
崩御の12月25日から31日までの七日間)なので…
父の名前「昭」は人気のある一字だったようだ。
あきら父の遺した「敢闘録」二冊には昭和十八年の
10月1日(日)に海軍飛行兵長を命ぜられてからの
美保海軍航空隊14期甲種予科練兵としての日記と
して二冊目ノートの昭和十九年の10月1日(日)
までの記録が黒インクと青インクで記されている。
つまり十六歳になってから当時の軍国少年たちの
憧れであったらしい七つボタンの制服に身を纏い
…訓練自体は十八年の7月から始まっていたようだが
…配属されてから戦局の悪化著しく恐らくはもはや
ノートも支給されなくなる翌年の同日までの備忘録。
今日は父の月命日(2015年12月26日逝去八十八歳)
にあたり朝から高槻図書館に来て開くまではロビー
開館してからは自由で空いている自習机で読み耽る。
いずれ『NP誌』に「超訳」を(弟妹の許諾を得て)
掲載したいと考えているので今日は前説だけにする。
春風の頃はまだよかったが…大日本帝国はやがて…。
【秋風に同期の志願特攻の
兵長として父は十七】
高槻ではこのあと桐蔭組合OBふたり会があり
歴史と戦争と政治経済に詳しいショーゴ先生
と語らう予定…昨今のきな臭い国勢のこと等。



